私ども地名の「神山」の名前の由来を調べてみました。・・・結論は、「いまひとつ不詳です。インターネット・図書館・一宮博物館・・などなどで、歴史の流れ、いきさつから推察するしかあません。」

そんな中、2012年4月刊行の一宮市老連会報の「連区だより」の欄に掲載された、前・神山連区老連会長の湯浅英忠氏の「神山連区の小学校の移り変わり」と題された寄稿を知り、その中に我が町「かみやま」の親しみある「答え」を見た想いですので、ここにその大意をご紹介致します。

神山連区には、現在、神山小学校区と末広小学校区が有ります。

「神山小学校」の創立は、明治42年11月1日で、中島郡一宮町城屋敷27番地  (現・三菱東京UFJ銀行一宮支店の建つ場所)に、「一宮第三尋常高等小学校」として、設立されたのが始まりです。

その後、教育制度の改革と、町の発展と共に次第に立地が手狭な環境となり、移転することとなりました。

大正5年10月24日に、駅西に広がる6千余坪の広大な地域で、大小数十本の松の木が生い茂り、西地区唯一の景勝地になっていた場所、真清田神社の神主だった佐分氏の土地で「神主山」と呼ばれた地に、移転されました。この辺りは、現在の東海スタジオさんが在る駅西大通りを真ん中に「神山1丁目と平和1丁目」にまたぐ広域な地域となります。

大正10年9月1日、一宮が市制施行で、一宮市が誕生。それに伴って 学校名も「一宮市第三尋常高等小学校」に変更され、また所在地名も、「一宮市神山町1丁目2番地」と変更になりました。

昭和16年4月1日、一宮市第三国民学校、昭和22年4月1日、一宮市立第三小学校、そして、

昭和23年10月1日、「一宮市立神山小学校」となりました。

「神主山」と呼ばれた土地が、一宮市が誕生した大正10年に「一宮市神山町1丁目2番地」の地名となり、

そこに建っていた「一宮市立第三小学校」が、昭和23年に「一宮市立神山小学校」になったという次第です。

その後、人口増加による都市計画事業で、神山小学校も、昭和34年3月29日に神山町から西の、現在地の「冨古場町25番地」に移転することとなりました。

昭和45年4月1日、住居表示変更により、所在地名が「一宮市平和2丁目12番7号」となり、そして翌年、

昭和46年4月1日、分離校として、「一宮市立末広小学校」が、誕生しました。・・・・学校も地域も、このようにして時代の発展と共に、移り変わって来たのですね。

「神主山から神山へ」そして、今、神山地域づくり協議会の、イメージキャラクターの名前は「かんなびさん」です。古語にある「神様が鎮座する山」の意味の言葉です。

以上、前老連会長の湯浅氏の、寄稿から、神山の由来を・・ご紹介させて戴きました。